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事件の舞台となったコロンバイン高校に在学していたエリック・ハリスとディラン・クレボルドは、この高校に入学してしばらくを経た頃からその卒業の頃までにわたって、同校の一部の生徒らのいじめの対象になっていたという。
校内のいわゆる人気集団のクリーク(派閥)の生徒らから毎日のように小突かれる2人の姿や、その人気集団の生徒らと深い親交を持つ女子生徒らが2人と一緒にいた女子生徒を嘲る、時に2人を直接嘲る場面などが日常的にあったとの証言があり、彼らの共通の知り合いでのちに独白録を出版もしたブルックス・ブラウンは、2人がファゴット(faggot/「オカマ野郎」「ホモ野郎」というような意味の罵り言葉)と罵られるところや、ハリスがロッカーに押し込まれるところ、2人が車の中から物を投げつけられるところなどを目撃している。
こうしたいじめの対象となっていたのはハリスとクレボルドのほかにもおり、そうした生徒らのうちの幾らかが一種の自警団としての結束を旨に、自身らを「トレンチコート・マフィア」と自称するようになる。ハリスとクレボルドはこの集団のリーダーと共通の友人であった。黒色のトレンチコートをシンボルとしたこの「トレンチコート・マフィア」に所属していた生徒らは、この事件が発生するより前にその全員が卒業ないしは退学している。
ブルックス・ブラウンは「日常的に行われていたそのいじめが、2人の絆を強くしていた」と語る。彼らを圧迫していた生徒らは、この高校で力を持つ(いわゆる「幅を利かせている」)者たちだった。事件の当日、2人は彼らのことを「ジョック」と呼んだ。

1997年、コロンバイン高校の生徒ブルックス・ブラウンの両親は、ハリスが彼らの息子を狙おうと脅しているのをハリスのウェブサイトで発見し、それを知らされたジェファーソン郡保安官マイケル・ゲーラはこのサイトの物騒な記述を見た。 ゲーラは捜索令状用の草案の宣誓供述書を書くことを決定した。しかし、宣誓供述書はファイルされなかった。この情報は、2001年9月まで公表されなかった(捜査令状が発行されなかったのは、家宅捜査をする十分となる根拠が無かったためであるが、ジェファーソン郡は存在自体を隠蔽した)。 ブルックス・ブラウンはのちに出版した独白録で、ハリスのこうした行動の背景にあったと考えられる感情についてのことを記している。当時のハリスには、自身の唯一無二の親友であったクレボルドが(ブラウンと交流することによって)自らのもとを離れてゆくかもしれない、という不安を抱いていた節があったという。

警察の過失

この事件に関しては、事件前、事件時、事件後と、以下のような警察の過失や不当な対応が問題となった。
(前述の通り)、事件前に報告されていたハリスの殺人予告のウェブサイトを、警察はファイルせず、事件後もこの事を隠蔽した。
警察はハリスとクレボルトが銃撃しているとき、現場の状況が十分に確認できていたにも関わらず、ストーン保安官の指揮官決定に従って応戦せずに傍観していた(負傷した教師のデイヴ・サンダースは、他の生徒らが懸命に助けようとしていたにもかかわらず、警察の突入が無く、数時間後に大量出血で死亡してしまった)。
警察は犠牲者の遺体を、翌日まで現場に放置した。この事に関して警察側は「犯人らが偽装爆弾を仕掛けた可能性があったため安易に中に入れなかった」と説明しているが、逃げ出した生徒達の証言により偽装爆弾などの可能性は無かった事が示唆されていたことが分かった。
事件後の捜査で、捜査チームの一員であったストーン保安官は、犯人2人の友人であったブルックス・ブラウンを、「犯人らと長いつながりがあった」という理由だけで、長期にわたり捜査対象とし、マスコミにも「ブルックスも事件に関与している」と話していた。その事でブルックスは、事件後の町ではしばらくの間、ひどく容疑者扱いされた。
ストーン保安官は、犠牲者であるダニエル・ロアボーの衣服を、他の犠牲者の衣服を遺族に返していたにもかかわらず、「生物学的有害物質であるため」返却しなかった。そもそも警察には、捜査が終了していない段階で証拠品を返す義務は無かった。
警察が公表した事件の報告書には、いくつもの間違った記述がされていた。そのひとつである、ブルックスが事件前後にいた位置については、ブルックスは「警察が、いかにも自分が怪しいと人々に思わせる為に、わざと位置を間違えて公表した」と、自著に書いている。
警察は、犯人らが事件直前に撮影した、「犯行動機などを説明したビデオ」を長期にわたり公表せず、その事で多くの誤った憶測を広めた。
警察らの調査に不満を感じた生存者や犠牲者の家族などが、事件後に第三者などによる再調査を求め、立法機関の委員会で決を採ったが、これは否決された。これには、事前に警察が委員に圧力をかけていたとの説もある。